最近気まずくなりそうな瞬間に自分から声を発するように心がけている。というのも、目線を逸らしたり、黙りこくったりして気まずい瞬間をやり過ごすと、結局あとで「あぁ言えばよかったー」と後悔することが多いからだ。たとえ相手がそれに応えてくれなくてもいい。やれば少なくとも僕の中で後悔することはないから。
📚よんだもの
ユニコーンの飼育資格
カリフォルニア州に住む少女が、自宅の裏庭でユニコーンを飼う許可を求める手紙を動物飼育管理局に出したところ、当局から「ユニコーンを見つけられたら」という条件付きで許可証が交付された。さらに飼育条件として、「日光と月光、虹がよくあたる環境で飼育し、少なくとも月一回は柔らかい布で角を磨くこと」と許可証に書いてあったそうだ。しかしThe Guardianの記事には「当局が手紙のやりとりと許可証、ぬいぐるみ、ライセンスバッジの画像をSNSに投稿した」と書いてあって、「良い話だな〜」が「なんだかな〜」に急転してしまった。公にしないことの価値についてはこちら。
「休む」ってどういうこと?
休むことは意外に難しい。休もうと思っていても、資本主義的思考が骨まで染みついてしまっている身としては、つい時間を有効に活用する手を考え、普段はできない「タメになること」をしようと思いがちだ。フリーランスという就業形態もあいまって、私的時間と公的時間の境界が曖昧になるのはもはや必然とさえ錯覚してしまう。そんな僕にクリアな境界線を引くヒントを与えたくれたのがこの記事だった。著者いわく、「結局のところ休息とは、社会における自らの地位を前進させることと無関係なことをすることだ」という。これにはかなり納得がいく。そして最近は少しずつその時間を確保できるようになってきた気がするし、意識的に確保しようとしている。これは社会の波と呼ばれるものに対する僕なりのささやかな抵抗だ。
EUのメタバースで鳴く閑古鳥
先日EUは、開発途上国のインフラなどへの投資増強を目指す新戦略「グローバル・ゲートウェイ」の一環としてメタバースでイベントを開催した。が、人がほぼ来なかったそうだ。EUの取り組みを腐す気はないが、メタバースに関する議論でいつも気になるのが、素晴らしい環境を整えさえすれば人が集まる、そして没入感を生み出すにはVR(もしくはVRっぽいデザインの3D空間)が必須だ、と考えている人が一定数いるように感じられるところだ。そこでどんな体験ができるのか、どんな人が来るのか、つまりはコンテンツとコミュニティの要素には一体どれほど注意が向けられているのだろう?
👀みたもの
王子と出会えるソーシャルメディア
イギリス王室を離脱したハリー(ヘンリー)とメーガンのドキュメンタリー『ハリー&メーガン』のエピソード1を観た。全体のレビューはさておき、観ていてハッとしたのが出会いのきっかけについてハリーが語るシーンだ。なんと二人の出会いはInstagramだったのだ。ハリーとメーガン共通の友人が、Snapchatで一時期流行っていた犬のARフィルターを使って撮った動画をInstagramにアップしていたのを見たハリーが、「この人は……!」となって紹介を依頼したそう。王子の出会いの場は、もはや舞踏会でも変装して忍び込んだ市場でも森の中でもなく、オンラインなのだ。
🎧きいたもの
Over Tage by Svaneborg Kardyb
デンマーク出身のモダンジャズデュオSvaneborg Kardybのサードアルバム。フォークミュージックを思わせる哀愁漂うメロディーと、小気味よいパーカッションが生み出す、寒い日の車窓のように薄曇った透明感。グリューワインでも片手に大切な人と一緒にいるときに聴きたい作品。
それでは、また次週👋